かたき土を破りて

2006年10月02日

Posted by 吉野のおじさん at 00:44 │Comments( 6 )
♪かたき土を破りて
   民族の怒りに燃ゆる島 沖縄よ
    我らと我らの祖先が血と汗をもて
     守り育てた 沖縄よ
   我らは叫ぶ沖縄よ 我らのものだ 沖縄は
  沖縄を返せ 沖縄を返せ♪ 

沖縄が復帰して34年、この歌を知っている人がどのくらいでいるだろうか。
知っている人もほとんど口にすることはないかもしれない。

私は時々この歌を口ずさむ 吉野の浜で一人ゴミを拾いながら 大声で歌う。
ある時は 涙を流しながら 歌うこともある。
ある時は これを歌うことで 自分を鼓舞することもある。

私は 沖縄の生まれでもない。ルーツも沖縄ではない。

私の沖縄への関わりは13才(中1)の時に始まった。
当時 家に小学校の先生が下宿していた。
その先生に「平和大行進」に行こうと誘われて 訳の分からないままに参加した。
記憶は定かではないが、平和大行進は沖縄から広島へリレー式に行進するもので、上記の「沖縄を返せ」や「ふるさとの街焼かれ」を歌いながら行進した。中学の時は毎年参加して、その歌はしっかりと覚えている。

そのままだったら たんなるノスタルジヤに過ぎなかった。

昭和41年9月沖縄宮古島を未曾有の台風(第二宮古島ーコラ台風)がおそった。
当時は復帰前で沖縄の災害復旧には自衛隊は出動できず、産業開発青年隊(建設省中央訓練所)
が派遣されることになり、その一員として災害復旧活動に参加した。
多感な弱冠二十歳の若者であった。
炎天下の中、仮設住宅の基礎工事ではツルハシでコーラルに穴を穿った。
しかし、そのことはつらいとは思わなかった。
仮設住宅が出来ることで、おじぃ、おばぁ達は喜んでくれた。
おやつには市販のパンを出してくれる所もあった。それを当然として食べた。
その日は、基礎工事に手間取り、夕暮れまで作業することになった。
おばぁが夕食の支度をしていた。
雑炊だった。中身はよく分からないが、野菜だけ(一片の肉も入っていない)の貧しいものであった。
おやつのパンを当然として食べたことが恥ずかしかった。
パンを買わなければ、肉を入れることが出来たかもしれない。
おばぁの優しさが何故か悲しく思えた。
このことが、私の宮古島への思いの原点となった。

戦後21年のことである。
大和(沖縄では今で言う内地を大和または本土と言っていた。)は高度成長のまっただ中にあった。

その後、私は沖縄返還運動にも参加した。
それは、あの優しいおじぃ、おばぁ達の血のにじむような願いであった。

昭和47年、沖縄は本土復帰した。
日本国政府は復興資金として莫大な資金を沖縄に投下した。

宮古島もどんどん変わっていった。
白いコーラルの道は、アスファルトに変わった。
松林やモクマオ林は重機で簡単に畑に変わった。
浜の砂は建材として持ち去られ(吉野海岸は砂浜の真ん中付近にある大きな岩が見えないくらいの砂浜だった。)、護岸工事で砂浜は失われていった。
海岸沿いの防風林はなぎ倒されてリゾート地となった。
人の心も変わった。
格差(たとえば、道路工事で補償金を貰えた人と貰えなかった人)は人間関係を歪めてしまった。

確かに経済的には豊かになったが、失われたものは大きい。

そして今、政府の手厚い保護はなくなった。

過保護は人を無気力にする。甘えの構造(金は政府に泣きつけばいくらでももらえると言う、イージーな意識)だけが残った。


最近、家の近くに畑(約600坪)を借りた。
5、6年放置されていた荒れ地である。
銀合歓が生い茂り、その根がはびこっている。まさに「かたき土」である。
この土地を出来るだけ機械を使わないで人力で開墾することにした。
あの優しいおじぃ、おばぁ達がやってきたこと(我らの祖先が血と汗をもて、守り育てた)である。

私が畑で作業していると、通りがかりの人は「何で難儀するか?。ユンボ使えば簡単じゃないか。」という。私が「結構楽しいですよ。」というと、あきれ顔で去ってゆく。

吉野海岸の掃除を始めたときもそうだった。
潮干狩りに来たおばぁ達に「何でそんな難儀するかよぉ。」とよく言われた。
最初の頃は、ぷりむぬ(馬鹿者)と思っていたらしい。
半年ぐらい経ったって、なじんできたら、オロナミン(宮古のおばぁ達はドリンク剤が好き。)など持ってきてくれるようになった。
そして、その難儀の結果、今の吉野海岸(ゴミのない、孫達に自慢できる浜)があることに感謝されている。

今度は、畑でこれをやろうと思う。
私の宮古島自立への構想は「エコサスー地球にやさしい誰にでも出来る農業システム」による農業が主体となる。
これには、心が必要である。
このことを言葉で伝えることは難しい。
結果を持って伝えたいと思う。

前途多難ではあるが、冒頭の歌を歌うことで己を鼓舞している。

吉野海岸の今の状況は、私の意図したものではないが、結果的に私が引き込んだ事(観光客を増やし、その結果、我利我利亡者の餌食になってしまった。)かもしれない。
しかし、これはまだ結果ではない。
ネバーギブアップ!

私は二度とあの光景(貧しい食事)を宮古で見たくはない。
畑の開墾も、吉野海岸を元に戻すことも宮古島の活性化を図る手段である。

よって、これからは午前中は畑、午後は吉野海岸に居ることになる。




この記事へのコメント
先日吉野海岸にてお会いしました。
やさしくてきれいな瞳が印象的でした。
貝殻とタコ糸の素敵なネックレス。
せっかくいただいたのに、なくしてしまいました。。。
ほんとにごめんなさい。
近いうちにまた必ず伺います。
そのときまた作っていただけるでしょうか。
吉野のおじさん。がんばってくださいね。
おじさんのおかげであんなにきれいな海が守られているのですね。
Posted by usa at 2006年10月04日 22:11
2日にお会いしました。
夕方最後まで浜にいた者です。
娘や妻がネックレスを喜んでいます!!

ガンバッていらっしゃるのですね!
僕も宮古に住みたいです。
どんな素敵な海より、
おじさんの気持ちをうつくしく感じています!

またお会いしたいです!!
Posted by 古川史朗 at 2006年10月05日 18:22
先週、2日連続で吉野海岸に行った4人家族です。
台湾からの訪問でしたので暑さはそれほどでもなかったですが、
海岸の美しさには感激でした。

初日におじさんから「明日も来てね」とネックレスをいただいた娘2人は
大喜びで「明日も必ずおじさんの所に行く!」と。
残念ながら初日に約束していた星砂探し探検は時間の都合で断念しましたが、
帰り際、他の人たちがみんな帰ってから作ってもらった珊瑚と焚き木での写真飾りにまたまた感激。

教えてもらったお店にそれを持ってって、シャコガイいただいてきましたよ。
(しかもお店のおじさんが「これも持ってけ~」って4個も、、、。)

上の子が海大好きで、珊瑚や魚に夢中なので去年も沖縄に行ったんです。
でも本島のほうは珊瑚が死んでいたりしていてガッカリしてたようです。
そこで今年は思い切って宮古まで足を伸ばしました。

吉野のあれだけの珊瑚、貴重です。
これからも大切にしたい財産と思います。

機会があればまた伺います。
どうかお体に留意してください。

再会の日を楽しみにしています。
Posted by from TAIWAN at 2006年10月12日 22:27
 昨日無事帰りましたぁw台風、来てるみたいなので気をつけてくださいねぇ。                   (;´-`)
           健康に気をつけてこれからも、海の為!!
       また吉野海岸にいきます♪その時は、また流木削りしたいなw          ブログこれからちょくちょく見させていただきます。
         タオル見たら、タオルの人だと思い出してください( ̄∀ ̄)ゞ
          次回紙やすりおみやげに持って行きますよ~♪
Posted by ヒロ at 2006年10月15日 08:59
「沖縄を返せ」はよく歌いました。
音痴なので、「おーきーなわをかえせー。おきなーわをかえせ」という所でいつも、周りから「ん?」という顔をされました。
沖縄返還闘争の時、仲間と深夜の高速を飛ばして、東京の集会まで行った記憶があります。しっかり手を握ってフランスデモをしながら国会前まで行きました。
ずっと変わらないものを持ち続けているつもりですが、難しい時代になったなとも感じています。
Posted by 史 at 2006年10月17日 23:46
こんにちは。
吉野のおじさんとは7年前から数えて3度宮古を訪れるたびにお会いしてますがメールでは初めましてです。

今年も3年ぶり(6/3~6/7まで)に吉野海岸を訪れましたが変わりようにびっくりしました。
上は有料駐車場になってるし、愛想のない事務的な送迎の人は居るわでワクワクもガックリに変わってしまいました。
以前は人もほとんどいなくて、小屋の焚き火でみんなでいろいろな話をして楽しかったな~。
小屋の周りとかおじさんの顔を見て苦労してるんだなっ感じました。

7年前におじさんに吉野を守っていく姿勢を見せてもらってより自然の大事さを痛感しました。
その影響を子供も受けてるせいか何も言わなくても自然が汚れるからゴミは拾うんだよねって拾っています。
綺麗な海をたくさん見せてもっともっと自然の大事さを伝えて行きたいと思います。

2~3年に一度は宮古に行きますのでまた遊びにいきますね。
小さな力でもお役に立てることがあれば協力したいのでご連絡ください。
おじさんに作ってもらったネックレス大事にしますね。
Posted by くろちゃん&なおちゃん at 2007年06月29日 12:56
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