少年時代(6)

2007年11月28日

Posted by 吉野のおじさん at 23:11 │Comments( 0 ) 仙人村
ご愛読有り難うございます。

 何故仙人村には108人もの仙人が必要なのか?
 旧約聖書の創世記にあるノアの箱船には8人の家族とあらゆる種類の動物がつがい(雄雌)が乗っていたとされますが、果たしてそれだけでしょうか。私はそのほかに、あらゆる農作物の種子(たね)も積み込まれていたと思います。また、、それを栽培するひと、その栽培に必要な道具を作る人、家畜を飼う人、保存のため加工する人のほかに、教育者、芸術家、聖職者など、人が健全な社会生活をする上で不可欠のあらゆる職業の選ばれた人(選人=仙人、ちょっと強引?)達が乗っていたと想像します。
 今の子供達には果たして職業選択の自由が有るのでしょうか。
経済的に豊かで有ることが子供にとって幸せなのだという勝手な親の価値観、あるいは見栄から、その子の資質とは関係なく受験戦争に駆り立て、早い時点で理系か文系かの選択を迫り、職業選択の範囲を限定してゆく。子供はそれに従わざるを得ません。なぜなら、子供達は世の中にどういう仕事が有るか知らないからです。その結果が今の世の中(心身ともに健全と言えない)を作っているのです。
 人は何のために働くのでしょうか。
生きるためです。心身ともに健全な社会生活を送るためです。
生きるためには働かなければなりません。心身ともに健全に働くためには自分にあった仕事につければいいと思います。
そのためには、子供の時から世の中にどういう仕事があるのか知っている必要が有ります。
冒頭にノアの箱船のことを出したのは、人が心身ともに健全に生きるためには多くの職業が必要だと言うことを言いたかったのです。
「仙人村」では、子供達には世の中にはいろいろな仕事が有り、その中で自分が何に興味を持っているか発見して貰い、また、親たちにも、仙人達が真摯に働く姿を見たり、話を聞くことによって職業に貴賎がないことを理解して貰いたいため108人(数にはこだわらず出来るだけたくさんのという意味)の達人が必要と考えました。

また、今、たくさんの物作りの技術や知恵が失われようととしています。人類はこの技術、知恵を得るために何千年何万年もかかっています。そして、ついこの間まで連綿と伝えられ、使われてきた物です。
たとえば、吉野海岸のコミュニティ広場「あだんの木陰」の囲炉裏には自在鉤が掛かっています。日本昔話にしか出てこないような、今はほとんど見かけなくなったものです。若い人はほとんどその仕組みを知りません。戦前にはどこの家庭にあった物です。これは中国から来たのか、日本人が考え出したものか分かりませんが、相当古い時代からあったものではないかと思われます。今の若い人はその仕組みが分かりません。知らなくても不便では有りません。しかし、その先人の知恵を知ることは生きていく上で何か意義が有るのではないでしょう。
この技術や知恵を残すことは、今を生きる我々の責務ではないでしょうか。
出来るだけ多くの物を残すため、出来るだけ早く(技術や知恵を持った人が減っていく。)、「仙人村」を作らなければと考えています。

 少年時代(6)
T少年はいじめられっ子だった。
と言っても今の子供達のいじめに比べたら、それがいじめだったのかちょっと疑わしい。
別に転校したわけではないが、小学校6年生のとき新しい学校(段階の世代を迎えて、生徒数が増えたため二つの学校になった。)に通うことになった。校舎も新しく鉄筋コンクリートの2階建てである。
気分一転、T少年も明るく元気に通っていた。ただ、街中を通らないため寄り道の楽しみが少なくなった。
とある日、何が原因だったか忘れたが、2、3人の同級生に寄ってたかってこづき回され、机に顔をぶっつけられ、眉の端が切れて血が流れた。これには友達がびっくりして逆に先生を呼びに行った。養護の先生が駆けつけて来た。若くてきれいな女先生である。応急処置をして、近くの病院におんぶして連れて行ってくれた。痛さなど忘れて、天にも上る心地だった。その後、友達が先生にどういう叱りを受けたのか知らないが、病院から帰ってきたら、「ご免と」と謝ったので仲直りをした。
 そして、中学2年生の時だった。ある日の昼食時間、弁当(小、中学校を通じて給食はなかった。)を食べ終え教室で遊んでいると番長(?)の取り巻きの一人がちょっと来いと呼びに来て、講堂の裏に連れて行かれた。そこには、同級の番長のほかもう一人いて、番長がいきなり「おまえは生意気だ!」と、胸ぐらをつかんで頭を拳固でポカッと殴り、他の二人も、押さえつけて、頭や腹を殴った。T少年は無抵抗だった。体も小さく、それまで取っ組み合いの喧嘩もしたこともなかった。喧嘩しても勝ち目はないと思っていたが、悔しかった。そして、泣いた。午後の授業が始まったが、そのまま、そこで泣き続けていたら、10分ぐらいして、他の友達が担任の先生を連れてきた。先生は私を抱くようにして教室に連れて行き、席につかせると、みんなに向かって、普段の声で「Tを殴ったのは誰だ?、やった者は前に出てこい。」と言った。教室はしーんとなった。と、番長がおずおずと前に出てきた。それに連れて他の二人も前に出てきて、みんなの方に向かって3人並んで立った。先生は「よし、素直に出てきたところは反省していると言うことだな。何故殴った言え。」というと、番長が「Tが英語の時間にふざけて、授業の邪魔ばかりしているので、生意気だと思って殴りました。」とぼそぼそと答えると、先生が「だからといって、殴っていいということでもなかろう。Tの痛みは自分も殴られて見ないと分からないだろうから、T、おまえ、この三人を自分が殴られたように殴れ。」と言った。
Tはそう言われて、一瞬、ファイティングポーズとって格好良く殴っているところを想像したが、到底自分に出来ることではない。
前に出て三人の前に立つと、番長が「堪忍な(ご免なさい)」といって、顔を突き出した。Tは「もうよか(もういい許すと」といって席に帰った。何故か、教室は万雷の拍手だった。その後、番長とは一番の友達になった。3年生の時にも同じクラスで硬軟のコンビでクラスを盛り上げることになった。
卒業してずーと後に、風の便りで、番長は商船学校にいって外国航路の船長をしていると聞いた。ナイスなキャプテンになっただろうなと思った。

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